本題

またぞろはてなで揉め事が起きて、話題になっている。

性的いやがらせを甘受するのはよりわたくしにとって望ましくありません。

http://d.hatena.ne.jp/Britty/20090214/p1

本エントリのブックマークコメントで「ごめんね」とおっしゃいましたが、わたくしはそれを謝罪としては受け入れられません。わたくしがお願いしたことを理解してくださっての謝罪だとはいまだ解しかねますので。

http://d.hatena.ne.jp/Britty/20090214/p1

このエントリを見て、自分は相当の恐怖を覚えた*1


一般的な道徳規範として、他人がいやがる事はすべきでないのは当たり前の事だ。しかし、人と人はどこまでも他者であって、嗜好も主観も異なり、相手のそれを完全に理解する事など出来ないのも当たり前の事だ。

だから、人が集まれば嗜好や主観のミスマッチは起きて当然であり、自分の嗜好や主観に合わない事をされたとき、相手に意図した悪意がなければ、多少の事なら流し、差し障りがあるようなら、こちらの事情に良くない事を説明するなりして、止めてくれるように「頼む」のが道理だ。


しかし、その行為に一度名前が付いてマスコミなどが取り上げると、状況は一変する。


行為の名前が錦の御旗となってして絶対的な正義を持つようになる。個人的嗜好や主観のズレに過ぎない物が、ただ名前が付いただけで、一方の嗜好・主観が絶対正義とされて、他方は悪者になり時には重大な社会的ペナルティすら受けるようになる。

今回も、形こそ「お願い」とはしているが、引用した文の強さは「お願い」ではない。実質的に、id:ekkenが悪質なセクハラオヤジとして広く認知され、*2些細ながら社会的ペナルティを受ける事を背景として「当然の権利の請求」を突きつけている形だ。


セクハラ、パワハラアカハラ、etc。名前が付くような行為には、それなりの理由がある。行為が広く行われていて、かつ、「被害者」が一方的に立場が弱い事だ。強い者が弱い者を虐げる事がよいはずはない。その点で、名前を付けてその行為を非難するのも必要な事なのも間違いない。


しかし、いやがってるのに派遣事務員に管理職が肉体関係を強要するのと、単に素でデリカシーがなくて品に欠ける冗談を言うのとでは、その弱者の受ける被害の大きさは全く違う。なのに、名前が付くと十把一絡げに同類にされてしまう。そして、単なる嗜好主観のズレに過ぎない後者に対しても、錦の御旗の元でまるで前者に匹敵するが如くに、一方の嗜好・主観のみが正義とされ一方には絶対的な悪のレッテルが貼られペナルティが課せられる。さらに「被害者」自身も言葉に引っ張られて、被害の実際の軽重に対して過度な被害感を持ってしまい、軽微な事も過大な問題に認識して過剰な心的負担を負いかねない。


単なる嗜好主観のズレに対して、一方のみが絶対悪とされてペナルティを負う。弱者を救うための上記のような「言葉」は、それを使うとき、今度は弱者が圧倒的な強者となり、また弱者自身にも被害を重く認識させる。そのとき、冷静に被害の程度を正しく認識し、そして強い者が弱い者を虐げる事がないよう、相応の慎重さが必要に思う。

追記:セクハラだけを重要問題とする妥当な理由はあるのか。言葉に釣られているだけではないのか。

肝心の言いたい事が上手く書けてなかったので補足。

日常でもネットでも、バカだのアホだの言う軽口は珍しくない。些細なツッコミどころのある行為に対して、冗談で同僚に「アホかよww」と言われる事もあるだろう。それを言われた人間が、それをくそまじめに捉えて被害を訴えて問題にする事は通常はない。しかし、これが性的な言葉だと話がなぜか一変してしまう。


セクハラは「被害者」の感じ方がすべてであり絶対正義であるとする主張が多い。元々主観のズレが問題であれば、それは必要な事ではあるが、ではなぜそれが性的な事に限っているのだろうか。「被害者」の主観がすべてであれば、冗談で「アホかよww」と言われてカツンと来た者が、笑ってツッコミ返すのではなく、「わたしにとってその言葉は不快です」と主張する事で絶対的正義者として認められ、言った同僚は絶対悪として裁かれてセクハラオヤジと同様の重大な社会的ペナルティを課されないのだろうか。


単純に、それでは被害とペナルティが釣り合わないと考えられるからだろう。被害者の主観と言っても限度があると考えるのが普通だろう。しかしなぜか、これが性的な言葉だとそんなバランス感覚が吹っ飛んでしまう。


「被害者」側が弱い立場にあるとき、それを保護しなくてはならない。男性中心社会という現実の前で、被害者の側が弱ければそれを斟酌する必要があるだろう。弱者を救うための上記のような「言葉」は、その強力なツールとなる。しかし、そのツールは振り回せばバランス感覚が失われ、「被害者」自身に対しても問題の深刻度を上げてしまう危険なツールだ。使用には、ツールに振り回されないための慎重さが必要ではないか。

ブコメにお返事

pollyanna その人にはどうすることもできない属性(生まれや育ち、身体的精神的特徴、性など)に基づいた中傷や揶揄は、それを受けた側には反論のしようがないからこそ、暴力的な「いやがらせ」になるものだと思っていました。

自分もそう思います。このエントリは立場の強弱にフォーカスした分、その観点は明記されてませんね。自分もそう思いますし、このエントリはそれと矛盾するものではないです。仰る事は前提として、「中傷や揶揄」はどこからか、と言う話ですので。量的差異を無視して、無か有かの2分法だと、完全にPC(politically correct)*3でなければいかなる言動も禁止されるべきという事になり、私はそれは費用対効果の著しく低い非現実的なものと思います。

kurokuragawa これはいたい, コミュニケーション 「足を踏まれてるのでちょっとどけて」と頼むのと何も変わらないはず(本来であれば)

id:kurokuragawa さんの仰る通り、足を踏んづけられていて黙っている必要はないですよね。それは足を踏んでしまう事について、主観も嗜好もなく対応のコンセンサスが取れているので、それが明らかな訳です。不幸にしてそうでない領域が現実にはあるわけで、そこを本エントリは対象としています。「イヤだから止めるように頼む」という基本原則自体は、仰る通り、これらの領域でも何も変わらないと思いますし、本エントリはそれを肯定するどころか、むしろそういう場合にこそ、その原則に立ち返るべきという話です。その原則に照らして、被害の程度に相応するお願いをすればよいところ、名前付けされた行為に該当する場合に程度の斟酌が吹っ飛んでしまって、軽微な事が相手にも自分にも過度に重くなって危険だというのが本エントリの主張です。

*1:id:ekkenの元コメントが見れてないので、起こりが本エントリに述べるような行為だったのか否か解らないし、それ故、本エントリは、id:Britty自身をを非難する意図で書くものではない事を断っておく

*2:元からもとから微妙な評判だったとは言え

*3:「可愛い服だね」なんて言うのは言語道断