「下流大学」を切って進学率20%にしたらどうなるか

はてブでは理解を示す人もいる一方、反発する人も多いようだ。では、三浦展氏の言うように助成金を切って「下流大学」を淘汰させて進学率を20%に落したらどうなるだろうか。

明らかに多すぎます。勉強しなくても大学に入れる状況なので、学力のない学生を量産しています。親の学費負担などで社会の活力を奪っている面もあります。一定の学力のある学生だけ入学させるようにして、それで大学が半分つぶれてもいいと私は思います。そうでないと、大学行政は、不要な高速道路を大量に造って国民の借金を増やしてきた、あの悪名高い道路行政と同じではないでしょうか。

基本的な学力すらない、そして向上心や学ぶ意欲そのものが低い学生を生み出している大学行政、教育行政全体をそう呼んでいます。

http://www.j-cast.com/2009/05/04040502.html

国の税金が1700億円浮く

現在の私立大学への国からの助成金は、約3500億円程度のようだ。少し前の資料だが、

平成19年度 私学助成関係予算額(単位:億円)

私立大学等経常費補助 3,312.5 3,280.5 私立大学等の教育研究条件の維持向上及び修学上の経済的負担の軽減に資するため、教育又は研究に係る経常的経費について補助。
私立大学・大学院等教育研究装置施設整備費補助 114.3 106.3 学術研究の振興、高等教育の高度化を推進するため、私立大学等の研究施設、大型の教育研究装置の整備費について補助。
私立大学等研究設備整備費等補助 77.8 73.3 私立大学の研究設備、私立大学等の情報処理関係設備、私立高等学校等のIT設備の整備費について補助。
http://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/shinkou/07021403/002.htm

とある。これを半分にすれば、約1700億円の税金の節約になる。


1700億円と言われてもピンと来ないので、平成21年度予算政府案から適当に額が近い用途を持ってきた*1

  • 警察庁:2600億円
  • 裁判所:3200億円
  • 消防庁:130億円
  • 情報通信関係整備:1500億円
  • 保健衛生対策:4300億円
  • 公共交通:1100億円
  • 集中豪雨緊急浸水対策:2900億円
  • 護衛艦2隻取得:1500億円
  • 在日米軍駐留経費負担:1900億円

これを見るとたしかになかなかの規模の節約と言えそうだ。ちなみに、介護保険は2兆円、医療費は約8兆円だった。

最大で、160万人年の労働力アップ・1.6兆円の消費拡大

昨年度の短大を含めた大学進学率は50%強、同進学者は60万人弱(学校基本調査による)。


という事は、これを20%に減らすと約40万人が大学に行かなくなる訳だ。現在の社会状況ではその多数が専門学校に行く事になるだろうが、相当数が社会に出て働き出すとすると、彼らが4年間大学に行く場合にくらべて

 40万人×4年=160万人年

これだけの労働力が、社会にプラスされる。学生でいるより収入は増えるので支出も増えるはずだ。学生でいるより平均で年100万ほど多く支出すると、

 160万人年×100万円/人年=16000万万円=1.6兆円

1.6兆円の消費拡大になる。日本の個人消費が300兆円弱なので0.5%押し上げ。GDPが約500兆円なので約0.3%のGDP拡大という事になる。数パーセントの変化で大騒ぎしているのだから、無視できる値とは言えない。


なお、あくまでこれは全員が労働に付いた場合の話であって、実際はこの数分の一になるだろう。

大学に求められている物は?

ここまでで、メリットを見てみた。では失われる物は何だろうか。大学に対して求められている機能が何なのかを挙げてみよう。それが失われるならデメリットとして勘案しなくてはならない。

学力レベルのランク付けで学生の知力を推断

社会(企業や官庁)が大学に求めている圧倒的な要請がこれであるのが現実だ。名の知れぬいわゆるFラン大学の3年生には情報誌の他は葉書が何枚かしか来ない一方、東大の3年生には工夫と贅を凝らした非定形郵便の案内が山ほど届き、情報誌もそもそも種類が違う。無名大学の学生がセミナーの申し込みを満員で断られても、有名大学の学生には席がちゃんと残っている。しかし、それらの求人の要項では対象は「全学部全学科」。試験内容も、大学教育での習得内容を問う物はほとんど無い。つまり、期待されているのは教育内容ではない。入学時の試験難易度で学力を見て大まかに知力レベルを推し量り、足切りなどの採用活動の効率化を行っているに過ぎない。


進学率が下がっても大学のこの機能が失われる事はない。ボリュームゾーンだった中位以下から大卒限定で採用していた企業には、その限定条件を緩める必要は生じる。

高度な専門知識を持つ人材の供給

端的に言えば、医者や弁護士などだ。人数の割合は少ないが、確実に社会に必要な人材が供給されなければならない強い要請と言える。


この要請に足しては、もともとこれらの人材は上位に入っておりほとんど影響はないだろう。そもそも三浦氏は

成績がいいか悪いかではなく、基本的な学力すらない、そして向上心や学ぶ意欲そのものが低い学生

http://www.j-cast.com/2009/05/04040502.html

を問題視しており、こんな学生に医者や弁護士になられては困る。

将来のイノベーションに繋がる先端研究

前項と微妙に被るが、これも重要な大学の役割だ。しかし、これも前項と同様にほとんど影響はないだろう。

学を通じた国民の視野拡大・基礎教養/知的態度の涵養

大衆の教育高度化、平たく言えばDQNから遠い存在の社会人を量産する事だ。これは質もさることながら量にも重要な意味がある。民主主義国家においては、国民がどれだけ正しい判断が出来るかは死活問題であるし、あらゆる現場で多少なりとも判断が正しい事は生産性を向上する。僅かに得た多少の基礎知識であっても数が多ければ役に立つ場面も多くなる。先進国での中位以下の大学教育は、このように国民の底上げをする機関としての役割を果たす


…はずだ、という信念が社会にはある。本当であれば、進学率の低下はクリティカルなダメージとなる。では、本当だろうか。


なんとなくそうだろうという気もするが、計測や実証が困難な内容だ。しかし少なくとも、計測可能な労働生産性の指標「賃金」については、大卒・高卒感の際について

高等教育が生産性(賃金)に与える効果は、職場訓練との差し引きでマイナスかゼロです。
学歴間賃金格差の変化のほとんどは、分布区分の見せかけによるものです。

http://keijisaito.info/econ/jp/gjk/j2_wage_data.htm

と結論づけられている。


つまり、少なくとも生産力の増強にはならない。「視野拡大・基礎教養/知的態度」は仕事にすら力を発揮しないとすれば、それ以外の場では力を発揮すると無邪気に信じる訳にはいかないだろう。

学を通じた国民の豊かさの向上

微妙に前項に被るが、こちらは個人ベースの「豊かさ」の話だ。視野が広がり知識が増えれば国民の各個人自身の人生が豊かになるだろうという話だ。大学で○○を学びたい、という積極的な希望もあれば、講義の中から面白そうなのをとって見聞を広めるというのもあるだろう。ますます計測困難な話になる。


これにも進学率の低下は重大な問題になるように、みえる。しかし、何によって豊かさを感じるかは個人の自由のはずだ。エロゲ−をやって心を豊かにしるのだって、ツイッター廃人になってネト充を愉むのだって、国民としてはすべて平等のはずだ。特定の物だけに1000億円以上も国家が支援するのは、嗜好による国民差別といえる。そしてなにより、学びはいつどこでだって自由に行って良いのであって、それらを高校の後の大学通学で得なくてはならない理由はない。

Jobsは高卒

ここまで書いてきて思い出すのは、JobsのConnecting the dotsの話だ。もちろん彼は、希有な存在ではある。しかし学生としてではなく自分の興味で学びを行い、大学を卒業することなくそれを活かし、世界に大きな影響を与えた。大学にあやふやな実体のない期待を抱いて膨大な国費を投入し続ける事が妥当かどうか、考える意味はあるだろう。

追記

ブクマなどで頂いてる指摘について見解を。

労働力余ってるのに増やしてどうする

確かに今の不況下では失業率を上げる副作用は避けられない。しかし長期的な視野に立っても、「労働力は少ない方が良い」と言えるか?ならば、なぜこの国は少子化をこれだけヤバイと騒いでいるのか。労働力(とそれに伴う消費力)は、国の経済力の重要な要因のひとつだからではないか。エントリには、GDP押し上げも書いてあるので併せて見て頂きたい。

治安が悪化する

「放出したら犯罪率も上がる」「夜のコンビニとかにたむろってる奴らが激増する」などのブコメ。「下流大学」学生も酷い言われようだ。「下流大学」学生はそんなに酷い連中なのだろうか。ただ、社会が彼らを適切に受け入れる必要はあるだろう。もともとは現在の大卒と同程度の学力があり、大学にいっても生産性は向上しなかったのだから、現在の大卒と同様に受け入れるのが妥当だ。

大卒の生涯賃金と高卒の生涯賃金の差により消費は減るはず

エントリ中で引用した、学校は人的資本を形成するのか? (2)賃金格差の実証分析 によれば、同じ人間が高卒で社会に出ても大学に通ってから社会に出ても、統計的に賃金・生産性への影響はでていない。つまり同検証を言い換えると、大卒・高卒の賃金格差は、もともと生産性が高い者が大学進学をしている事によって差が生まれているに過ぎない。であれば、中位の生産性の者が大学に行かずに高卒として社会に出れば、彼らの賃金は今の高卒より賃金は上がるのが労働市場的に妥当。

教育は福祉

ならば1700億円での現在の私大助成継続が、福祉として効率の良い使い道かどうかが問題。基礎教育については読み書き算盤が出来なくては生産性が落ちるが、大学教育は生産性に影響しないというのは既に書いた通りであり、本人の生産性を上げないものに金を突っ込むのが効率の良い福祉とは言い難い。学ぶ愉しみを味あわせてあげる、という意味ならそれはエントリに書いた通り、嗜好による差別。

教育費約3500億円って安いなあ

教育費ではない。3500億円は「私立大学への助成金」であって、教育全体については、他の予算も当然あるし、国家予算より地方自治体からの予算が圧倒している。

教育コストの負担が社会などに回ってくるだけ

「社会に出せば金もかからず人材が育つように見えるのは錯覚。企業が長期雇用の中でコストかけて育成してきた」「企業が代わりに教育コストを負担するようになるだけ」などのブコメ。このエントリの対象は小中高ではなく、大学での教育。大学教育と社会で実務に就くための教育はまったく内容が異なる。大学教育は会社の教育・研修の代わりになっていない。つまり、もともと求められていない教育を無くすだけなので、どこにもそのコストが転嫁される事はない。

研究職の職場が減る

あまりに筋が悪いので無視していたが、☆が付いてるので。社会が求めていれば大学以外に職場が生まれるし、需要に直結せずそれでも国に必要であればその場を税で作っても良い。必要なら研究にだけ投資すればよいのであって、無用の教育設備・組織・業務を併置して丸ごとに金を突っ込むのは無駄そのもの。そんな理由で、研究の固有受益者でない学生を搾取するのも論外。

進学率を下げるな

「先進国では進学率が上がる」「日本は大学進学率高くない」「先進国で高等教育否定してどうすんの?」などのブコメ。(余談だが、}˜^¤‘åŠwiŠw—¦‚̍‘Û”äŠrによれば、韓国よりは低いが現在は先進国中で日本の進学率が低いと言う事はなく、図録▽大学退学率の国際比較と併せれば、現在は大卒の割合は日本はトップクラスと思われる)
下げたらどうなるかというエントリなのに、なんの根拠もなくただ「下げるな」と言われても困る。宗教でもあるまいし、根拠こそが重要であり、それを指摘されたい。

そしてお願い

このようなエントリを書く者を酷い奴と思う読者は、まず自分が酷く不当な学歴差別に陥っていないか、今一度落ち着いて考え直されたい。


*1:消防庁は近くないけど、参考に