居酒屋:真の敵は よしもとばなな ではなく、村上春樹の言う「壁」である件

しがない雇われ店長に規格外のサービスを求め、応じない彼を裕福な人脈を笠にして責めるよしもと。

もしも店長がもうちょっと頭がよかったら、私たちのちょっと異様な年齢層やルックスや話し方を見てすぐに、みながそれぞれの仕事のうえでかなりの人脈を持っているということがわかるはずだ。それが成功する人のつかみというもので、本屋さんに行けばそういう本が山ほど出ているし、きっと経営者とか店長とか名のつく人はみんなそういう本の一冊くらいは持っているのだろうが、結局は本ではだめで、その人自身の目がそれを見ることができるかどうかにすべてはかかっている。うまくいく店は、必ずそういうことがわかる人がやっているものだ。
 そしてその瞬間に、彼はまた持ち込みが起こるすべてのリスクとひきかえに、その人たちがそれぞれに連れてくるかもしれなかった大勢のお客さんを全部失ったわけだ。

http://www.enpitu.ne.jp/usr6/bin/day?id=60769&pg=20090808

よしもとの醜悪さと勘違いには目に余るものがある。ここで我々は、哀れな店長に同情し、よしもとに反感を覚える。多くのブコメがよしもとに反発している。

しかも、よしもとの言うことには突っ込みどころが多すぎる。わざわざエントリを挙げて突っ込む人続出。、

ほか多数の突っ込み。

イタいおばさんの勘違いが隠す、この事件の本当の問題

我々が感じる反感・反発は、まとめてしまえば「このおばさんイタいね」の一言に尽きてしまう。「このおばさんイタいね」は何も産まない。せいぜいよしもとが改心する程度だ。そんなおばさん一人の事などどうでもいい。そんな事より、そこに目を奪われていては、この事件に隠れている本当の問題を見落としてしまう。
本当の問題は、反感や反発感情にまかせるのではなく、何がこの問題の原因なのか、を冷静に考える事で見えてくる。いやそれ以前に、そもそもこの件での問題とは何か、その問題で生まれている不幸は何なのか、からして落ち着いてよく見極める事が始まりだ。


事件の当事者

  • 友人との大切なイベントにケチを付けられたよしもと達
  • ルールに従って友人との大切なイベントにケチを付けた雇われ店長

そもそもこの問題での不幸は何なのか。

よしもと自身にとっては、そのイタさを横に置けば、友人との大切なイベントに水を差されイベントを中止させられた事が不幸だろう。よしもと以外の何も発言していない参加者にとっても同じだ。

では、雇われ店長の不幸は何だろうか。よしもとに非難された事だろうか。雇われ店長はルールに従っただけであり、勘違いおばさんの愚痴などノイズに過ぎない。そんな事ではない。彼自身おそらくまったく気がついていない不幸を、彼は被っている。

それは、彼は雇われ店長であるまえに、一人の人間であるという事だ。店長という立場は、仕事上とらされているに過ぎない。店長と客という立場も同様だ。これらの立場と無関係に、ひとりの人として「友人とお別れの大切な会」を開いてる人達に関わったとしたらどうだろう。

雇われ店長が彼自身で気付いていない不幸

彼が人非人でもなければ、互いの別れを惜しんでいる友人達の気持ちを、わざわざぶち壊すような事をなぜ好きこのんでするだろうか。彼という人間に人非人の行為を行わせているのは、仕事上とらされている店長という立場だ。友人と大切なイベントを過ごしている人に対して、わざわざそのイベントにケチを付けて水を差さなければならない事こそが、よほど非人間的で人間として本来の不幸な事ではないか。

不幸の原因:社会に張り巡らされた空気、あるいは「壁」

これらの不幸の原因は、よしもとの醜悪な勘違いでも、よしもとが我々が持たない裕福な人脈を持っていることでもない。雇われ店長が彼自身無自覚に、当たり前のように強制を受けている物。人間を立場に押し込め、その役割を演じる事を我々に強制するもの。自分が考えるに、それは村上春樹の言う「壁」だ。

私たちは皆、多かれ少なかれ、卵なのです。私たちはそれぞれ、壊れやすい殻の中に入った個性的でかけがえのない心を持っているのです。わたしもそうですし、皆さんもそうなのです。そして、私たちは皆、程度の差こそあれ、高く、堅固な壁に直面しています。その壁の名前は「システム」です。

http://www.47news.jp/47topics/e/93925.php

客の気分を害してでもイベントにケチを付けてやめさせる事は、居酒屋チェーンにとって合理的だ。特別な人脈を持った客などまさに例外であり、ターゲット外であり、それによるあるかないか分からない損失よりも野放図な持込みに繋がるリスクを抑えることの方が利益に結びつく可能性が高い。

合理的なルールに従い、それによって我々に安価に酒とつまみと場所を提供する合理的なチェーン店舗システム。我々に益するはずの合理的なシステム。合理的であるがゆえ、その論理は正当性を持ち、強固であり、我々はともすると無条件にその論理を我々自身に強制し、また他者にも強制しようとする。

哀れな雇われ店長人非人の行いを強要しているのは、このシステムに他ならない。

「システム」は私たちを守る存在と思われていますが、時に自己増殖し、私たちを殺し、さらに私たちに他者を冷酷かつ効果的、組織的に殺させ始めるのです。

http://www.47news.jp/47topics/e/93925.php

「殺す」という表現は、今回の事例に関して言うには、いかにも大袈裟過ぎる。しかし、事の大小の違いがあるだけで、話自体はそのまま当てはまる。殺すという事に比べれば不幸の大きさが小さいというだけだ。そして小さいからこそ、目立たないまま我々を容易に取り囲む。


小さいから目立たない。われわれはこの事に自覚的である必要がある。村上が、単に「壁が殺す」事だけでなく、壁が我々に「殺させる」という事を挙げている事に注意し、その意味を考えてほしい。

私たちに他者を冷酷かつ効果的、組織的に殺させ始めるのです。

http://www.47news.jp/47topics/e/93925.php

it begins to kill us and cause us to kill others--coldly, efficiently, systematically.

http://www.47news.jp/47topics/e/93880.php

システムは合理的で正当性を持つ。それゆえに、自分自身が「殺させられ」ている事の自覚を覆い隠し、罪悪感もないまま、静かにほかの卵を押しつぶしている。

このことを考えてみてください。私たちは皆、実際の、生きた精神を持っているのです。「システム」はそういったものではありません。「システム」がわれわれを食い物にすることを許してはいけません。「システム」に自己増殖を許してはなりません。「システム」が私たちをつくったのではなく、私たちが「システム」をつくったのです。
 これが、私がお話ししたいすべてです。

http://www.47news.jp/47topics/e/93925.php