エリート集団をも抹殺する『あいさつ』の組織論

コーチ・エィ(東京・千代田)の中島克也常務から「あいさつ促進に『真剣に』取り組んでいる組織がある」と紹介された。東京海上日動火災保険の埼玉自動車営業第二部だという。

http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/OPINION/20081028/318007/

仕事で東京海上日動火災のオフィスに行った事がある。異様な雰囲気だった。元記事曰く、優秀なエリート集団の戦場であるはずのオフィスには、幼稚園や小学校を思わせる「いつもニコニコ、気持ちよくみんなであいさつをしましょう(正確な文言は忘れたけどこんな感じ)」との張り紙。それが掲示板だけならまだしも、あちこちの普通の壁に貼られている。そして、廊下で合う人合う人みんな逐一「コンニチワ!」「コンニチワ!」。


エリートのエリートたる所以は、指示を受けて言われた事をやるのではなく、個人があらゆる問題についてそれがどうあるべきか、そして自分がどうすべきか、自立・自律して考えて自発的に乗り越えてゆく事が大前提ではないのか。これは、何もエリートだけではなく、自由主義社会の社会人として当たり前の事と思われる。それを仕事にも発揮するかどうかは個人の自由だが、経営側としては、従業員にできるかぎり仕事にそれを発揮させる事が普遍的な課題であるはずだ*1。従業員ひとりひとりを、言われた事を言われたまま行うガキの使いから、自ら考える自律したプロ集団にするのが、少なくとも新卒採用型の日本企業には普遍的な経営課題であるはずだ。


それなのに、「いつもニコニコ、気持ちよくみんなであいさつをしましょう」。そして、一昔前の自販機やATMのように発生される「コンニチワ!」。
この異様な状況を「目指すべきあるべき姿」であると、エリート達は自らの頭で考え、ここに至ったのだろうか。もしそうであれば、少なくともわたしは彼らをエリートとはとても呼べないし、そうでなければエリート達はいったいどうしてしまったのか。上から提示された「あいさつ」はとにもかくにも実現されたが、自らあるべき姿から考えるエリート達はどうしてしまったのか。


最初の引用部に出てきたコーチ・エィというのは研修屋さんのようだ。記事内容から察するに、おそらく東京海上日動の「あいさつ」はここの研修によるものなのだろう。大人数の行動を見事に変えたという意味で、確かにここの研修屋としての実力は高いのだろう。しかし、これでどのような経営課題が解決されたのだろうか。これを成功事例として嬉々としてマスコミに紹介する発想には重大な欠落があるように感じずにはいられない。

若い男性社員が外出時にドアの前でくるっと振り向き、「行ってきます」と頭を下げる。するとオフィス内の部員から一斉に「行ってらっしゃい」と声がかかる。

これを元記事では「かなりすがすがしい光景」と評している。「あいさつ」という目に見えるところに意識を置く人ならそう感じる人も少なくないのだろう。しかし、自分はそこに潜む、エリート達を抹殺するような個人への抑圧に、読んでいて身の毛もよだつ思いだったし、そう感じる人もまた少なくないだろう。互いに仕事の子細も把握してる数人のチーム内の話ならともかく、仕事も行き先もなんの事情も知らない人がいったいどういう思いで「行ってらっしゃい」を言って他人を送り出すのか。そこには自己目的化した組織目標にただ従うだけの無思考と同調圧力を感じずにはいられない。


コーチ・エィのWebサイトには研修テーマとして、トップに「企業理念の浸透」が掲げられている。経営者の思いは理解出来る。それらは重要な経営課題ではある。しかしその前に、ワンポイントを偏重して組織を異様な価値バランス観に落とし込み、なにより会社そのものである組織の構成員をスポイルする事で実現してなんの意味があるだろうか。異様な内部世界を作り上げた、シャクティパットのライフスペースが元々研修屋であった事を、この記事を読んで自分は改めて思い出す。

*1:逆に、仕事をマックジョブにして従業員に期待せずに捨て駒として扱うと言う対処ももちろんある。しかし、マクドナルドといえど本社勤務の"総合職"にまでそれを適用はしまい