小学六年生の女児(12)(´;ω;`)かわいそうです

女児(12)は、二重の意味でかわいそう。

その中で「寂しい」「周りが自分を分かってくれない」と悩みをつづっていた。

 (略)

 マンションにいる間、坂本容疑者は普段通り出勤し、女児は自由に部屋を出入りできる状態だった。13日に捜査員に保護された際、女児は「帰りたくない。お兄ちゃんは悪くない」と話し、長崎県警の調べにも口を閉ざしているという。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/071014/crm0710141831015-n1.htm

女児(12)は、九州から大阪まで家出するほど環境に追いつめられていたわけで。その苦しみの日々から遂には逃げ出し、その結果幸運にも、悩みを相談できる人と苦しみから解放された日々を獲得したわけで。


それなのに、その後の環境からの報復。安息の日々は被害と規定され、解放してくれた人は悪人と規定され、警察に逮捕され、あまつさえ、悪人を懲罰するための情報提供を強要される。この絶望感。12歳にの心に、環境に対する言い様のない不信が打ち込まれたことは想像に難くない。


それだけではない。もっと残酷な事が、これから彼女の身に起こる。


やがて成長に伴って、自分に牙をむいた環境に、いつかは彼女自身が同化すると言う事だ。現代の社会倫理から見て、容疑者(20)はどうポジティブに考えても真性のあほうだ。彼女も成長すればそれを理解するようになる。そのとき、かつての自分を地獄から救い出してくれた恩人を、安息の日々を否定しなくてはならなくなる。彼女自身の一部である、救い出されたはずだった自分自身を自ら切り捨てる日。それが早ければ自らの不信すら信じられない絶望が刻まれ、遅ければまたそれも悲劇だ。