大学進学率を下げろなんてとんでもない…………………………………………………か?
1700億円など、教育効果があれば税収増でおつりが来る
教育投資は国の礎への投資である。
現在の私立大学への国からの助成金は、約3500億円程度のようだ。
http://d.hatena.ne.jp/kentultra1/20090504/1241467076
(略)
これを半分にすれば、約1700億円の税金の節約になる。
そんな額は、GDPを0.5%押し上げる効果が発揮されれば、税収増で吹き飛んで帳消しになるどころかおつりが来る。問題は、その投資が額に見合う効果を上げていない事だ。投資が効果にあわない→投資中止、という安直な発想は事業の重要性を無視した怠慢としか言えない。
投資効果を考えるに当たって、現在の日本では社会に対して大学が果たしているのは学歴認定機能のみという事実を踏まえる必要がある。それは、
によって検証された現実だ。この検証は、昭和以降の日本において「大卒・高卒の生産性格差は、もともと生産性が高い者が大学進学をしている事によって生まれているに過ぎず、大学教育は生産性向上に寄与していない」という事を明らかにしている。
本来人的資本向上を目的とする教育機関であるはずの大学がその効果ゼロで、単なる学力認定機関に成り下がっているのだから、そんなところにそのまま教育目的の投資をしても意味がないのは当たり前だ。この実態を所与・不動としている事が、安直な投資抑制論すなわち進学率を下げろと言う暴論に繋がる。
解決すべき問題は、はした金を惜しむ事ではなく、その投資の効果を上げる事、つまり日本の大学教育を生産性向上につなげる事である。
日本の大学教育が生産性向上に繋がらない理由
大きくふたつに分けられる。
- 社会の側の問題
- 大学の教育内容の問題
まず、社会の側が大学教育の成果を活用していない事だ。就職においても大抵の募集要項は「全学部・全学科」であり、学部学科など考慮されずに各業務に割り振られ、業務遂行にあたって大学で学んだ事を期待される事も使う事もない。これでは生産性向上に繋がらないのは当たり前だ。どうしてこうなるかと言えば、
- 大学教育内容が業務に与える効用がないと考えられている
- 業務関連知識のみが業務遂行に用いられ、学問的考察を行う習慣がない
等が挙げられる。
これらの問題に対しては、まず
- 大学教育内容が業務に与える効用は、本当にあるのか
- 業務遂行において大卒労働者が学問的考察を行う事が、生産性を上げるのか
が明らかにならねばならない。ただ、残念ながら私はその肯定的実証を持ち合わせない。
次に、大学の教育内容自体に問題はないか。社会にその成果が期待すら持たれない内容であれば、その教育に対して社会から投資を受ける事は不当であろう。研究機能は一部の大学に任せるとして、ボリュームゾーンの大学ではその教育内容が社会においての生産性向上を果たさなければならない。なぜこうなるのか。
- 学を修めるという建前に沿ったカリキュラムで、様々な実地で活かす方法を教育していない
- カリキュラムを組んでも、それを習得させるために卒業を厳しくすれば人気が落ちる
などが考えられる。
これらの問題に対しては、まず、
- 学問を様々な実地で活かす教育というのは可能かつ効果があるのか
- 学ぶ気がない学生を大学に入学させる意味があるのか
が明らかにならねばならない。ただ、残念ながら私はその肯定的実証を持ち合わせない。